17年のシステム会社→ジム接客7年→45歳未経験でトラック運転手へ!短期離職2回を経て「天国の職場」を引き当てた全記録

デスクワークからトラック運転手へのキャリア再構築イメージ

はじめまして、クロミンです。

私は1978年生まれ、いわゆる「超就職氷河期世代(2000年新卒)」の40代後半です。

これまでの私の職歴をざっと並べると、かなり異色かもしれません。

  1. 新卒で入ったシステム会社(デスクワーク・IT土方):約17年
  2. 趣味だったボルダリングジムのスタッフ(接客業):約7年(バイト期間含め約13年)
  3. 45歳・完全未経験で飛び込んだ運送業界(トラック運転手):現在3社目

しかも、45歳でトラック運転手になってからの1年半は、まさにジェットコースターでした。

  • 運送1社目:最初の1年3ヶ月は順調だったものの、突然の配置転換で「1日14〜15時間拘束」の地獄に変わり、配属1週間で退職を決意。
  • 運送2社目:「週休2日・月給制」の求人に釣られて入ったものの、実際は夜勤必須の「実質週7勤務」+建材廃材の手積み地獄+教育係との密室ストレスで、入社2週間で見切りをつける。
  • 運送3社目:2社目の試用期間中に、一度内定辞退していた会社へダメ元で「やっぱり御社で働かせてください!」と電話で再直訴して入社。結果、ここが「日祝休み・手積みほぼ無し・完全1人作業・3社で一番給料が良い」という天国のような職場だった。

この記事では、「長年勤めた会社を辞めるか悩んでいる人」「40代・未経験で異業種に飛び込むのが怖い人」「転職先がブラックで短期離職しようか迷っている人」に向けて、私のカッコ悪い失敗と、そこからどうやって快適な働き方を手に入れたのかを包み隠さずお伝えします。


第1章:新卒から17年勤めたシステム会社を「40歳目前」で逃げ出した理由

2000年4月、就職氷河期のど真ん中で私は大手鉄鋼グループのシステム会社に新卒入社しました。

規模は200名ほどの中小企業でしたが、親会社が大きいため安定しており、住宅ローンも簡単に通るような「世間的には辞めるのがもったいない会社」でした。

しかし、40歳を目前にした2017年6月、私は次の転職先も決めないまま「逃げの退職」を選びました。

チームの空気を破壊した「親会社からの出向社員」

辞めた最大の理由は、最後の2年間所属していた4人チーム(リーダー、私、16時帰りの育児時短社員、親会社から急遽配属された社員)の人間関係です。

親会社から来た社員が、とにかく強烈でした。

  • 基本的に仕事をしない(すぐ別階の親会社のフロアへ行って席にいない)
  • 当日朝の急な欠勤を連発し、業務要員として計算できない
  • こっちが忙しくても平気で仕事を振ってくる(「自分に甘く、他人に厳しい」)

頼りにしていたチームリーダーもその社員と何度も衝突し、以前は雑談で明るかったチームの空気は完全に凍りつきました。取引先との電話対応以外は、1日中ほぼ笑うことなく淡々とキーボードを叩く毎日。育児時短社員の残務カバーもすべて私に降りかかり、2016年の冬にはストレスが限界に達していました。

ストレスチェックの「問題なし」判定で完全に冷めた

決定打となったのは、社内で実施されたストレスチェックでした。

私の診断結果の内訳を見ると、業務環境のストレスは「最悪レベル」。ところが、当時の私はプライベート(趣味のボルダリング)が充実していたため、総合判定がなんと「問題なし」になったのです。

「あ、この会社のテストは精神が壊れる前兆を見つけるんじゃなく、完全に壊れた人を見つけるだけのテストなんだな」

そう悟った瞬間、会社に対する期待がプツンと切れました。さらに親会社の力関係でチームリーダーが異動になり、あの大嫌いな親会社社員がリーダーになる未来が見えたため、手汗をびっしょりかきながら所属部長へ退職切り出しのメールを送りました。

【17年勤めた会社を辞めた時の最大の後悔】

初めての退職だった私は、余っていた約1ヶ月分の有給消化を申し出た際、部長から「モラル的にそれはちょっと…」と何度も釘を刺され、最終的に約20日分の有給を泣き寝入りして消滅させてしまいました。

今なら分かりますが、辞める会社のモラルなんて気にする必要はありません。引き止めや有給消化で揉めそうなら、退職代行サービスや転職エージェントなど第三者の力を借りてでも自分の権利を守るべきでした。


第2章:「趣味を仕事に」ボルダリングジム接客業での7年間と、45歳の壁

システム会社を辞めた後、私は在職中から副業アルバイトとして関わっていたボルダリングジムのスタッフになり、その後、別のアウトドアフィットネス・ボルダリング運営会社へ正社員として転職しました。

17年間のデスクワーク(IT土方)から接客・体を動かす仕事への転身は新鮮で、単発で知人社長の工事現場バイトを手伝った時も「作業した結果が形に残る仕事、汗をかく仕事って実は嫌いじゃないな」と気づくきっかけになりました。

また、ジム2社目への転職活動(当時40歳)では、初めて「リクルートエージェント」に登録しました。

結果的に入社したのは自分でホームページを見つけて直接応募した会社だったのですが、人生初の「職務経歴書」の書き方が分からず、ダメ元でリクルートエージェントの担当者に「御社経由の求人ではないのですが、添削してもらえませんか?」とメールしたところ、翌日に丁寧な添削を返してくれたというありがたい経験もしました(※この裏技は別記事で詳しく書いています)。

しかし、入社翌年に新型コロナウイルスが直撃します。

レジャー系接客業は大きな打撃を受け、コロナ前と比べて業界の将来性や労働環境、給与面に強い不安を感じるようになりました。「好きな仕事を続けること」と「40代後半からの生活を守ること」の天秤が傾き、2024年春、45歳でまったく未経験の異業種へ転職する決断を下しました。


第3章:45歳・未経験で運送業界へ!1社目の順調期と「拘束15時間」の罠

45歳・異業種未経験で求人を探すと、当然ながら選択肢はかなり限られます。

そんな私を救ってくれたのが、2001年(平成13年)に取得していた「普通自動車免許」でした。2007年の法改正前に取得した普通免許は「8t限定中型免許」扱いになるため、新しく免許を取り直さなくても最初から4tトラックに乗れたのです。

ドライバー専門の求人サイトを使って、従業員250名ほどの一般貨物運送会社(1社目)に正社員として入社しました。

最初の1年3ヶ月は「トラック運転手、天職かも」と思っていた

乗用車しか運転したことがなく、マニュアル車の運転も20年ぶりでしたが、この1社目で「4tワイド」のトラックを使ってしっかりマニュアル運転を練習させてもらえました。

  • 舞浜のホテル〜羽田空港間の荷物集配
  • ネットスーパーの配送センター〜各デポ間の幹線輸送
  • 大田区〜千葉県・館山工場への電子機器部品の往復輸送

人間関係も良好で、1人で運転して時間を管理する仕事に大きなやりがいを感じ、「この仕事こそ自分に合っている!」と確信していました。

突然の配置転換と「自分の時間がゼロになる」恐怖

ところが2025年7月、会社の仕事の半分以上を占める主力案件「大手宅配便の配送センター間輸送(東雲〜八丁堀・茅場町)」へ突然配置転換となりました。

ここから生活が一変します。1日の拘束時間が14〜15時間になったのです。

朝一が猛烈に忙しく、昼間は長い待機時間があるためトラックの中で仮眠は取れました。だから「体力的に無理か?」と言われれば耐えられたのですが、「1日のうち15時間を会社に拘束され、自分の時間が全く持てない」という現実が、精神をゴリゴリ削っていきました。

しかも会社の業務の半分以上がその大手宅配便の下請け仕事。「これをこなしたら、次もまたこの仕事をお願いね、と底なし沼にハマって二度と抜け出せない」と未来が見えた瞬間、配属からわずか1週間で転職を決意し、8月末で退職しました。


第4章:2社目(産廃ドライバー)を2週間で見切り、辞退した3社目へ「再直訴」した逆転劇

「もっと自分の時間と健康を大事にできて、箱車以外の『アームロール車』などスキルアップできる会社に行こう」

そう考えて7月末に転職活動を行い、2社の産業廃棄物収集運搬会社から内定をもらいました。

会社の雰囲気はB社(現在の3社目)の方が良かったのですが、当時の私は目先の給与表記などの条件に惹かれてA社(2社目)を選び、B社を内定辞退して9月からA社に入社しました。これが大失敗でした。

求人票のカラクリと、狭いトラック車内での人間関係地獄

いざ2社目に入ってみると、3つの強烈なギャップに直面しました。

  1. 「週休2日・月給制」の罠:求人票の目標月給を稼ぐには、週5の日勤に加えて「週2回の夜勤」が必須。つまり実質「週7勤務(休みなし)」で働かないとその金額にならない構造だった。
  2. 建材廃材の手積み地獄:解体現場の石膏ボードや木材などを、コンテナがいっぱいになるまでひたすら手積みする過酷な重労働だった。
  3. 教育係との密室ストレス:同乗研修の教育担当の先輩にものすごく嫌われ、約1ヶ月間、狭いトラックの車内で2人きりで理不尽に厳しい態度を取られ続けた。

働き出して1〜2週間で「ここは無理だ」と悟りました。「でも入社1ヶ月未満で辞めるなんて…」と葛藤しましたが、どうしても「やっぱり7月末に内定辞退したB社(雰囲気が良かった会社)の方が良かったな」という思いが消えませんでした。

プライドを捨ててかけた「1本の電話」

9月末、私はダメ元で、一度内定を辞退したB社(現在の3社目)に電話をかけました。

「今の会社がどうしても合わないので、もう一度お話しさせていただけませんか」

すると、電話に出た人事の方は嫌な顔ひとつせず話を聞いてくれ、こう言ってくれたのです。

「あなたが望むなら、うちに来てください」

この一言にどれだけ救われたか分かりません。すぐに2社目に「辞めます」と伝え(驚くほどあっさり「合わないなら仕方ないね」で済みました)、11月から現在の3社目へ入社しました。


第5章:現在の3社目が「天国」である4つの理由

こうして辿り着いた3社目ですが、勤務から1年経った今、これまでの人生で一番ストレスがなく、満足度の高い環境で働けています。

  1. 「早く終わる日」があり、休日も給料も3社で一番良い

毎日違う現場へ行くスタイルで変化があり、遠い現場で遅くなる日もあれば「あれ、今日もう終わり?」というくらい早く帰れる日もあります。日曜・祝日休み+月1回の公休+有給もしっかり取れ、蓋を開けてみれば1〜3社目の中で一番給与の不満がない金額をもらえています。

  1. 手積みが激減し、1社目・2社目のスキルがすべて活きた

扱う産廃は汚泥や細かい物がメインで、先方が機械で流し込んでくれるため、2社目のような過酷な手積みは週1回あるかないかです。そして「1社目で1年半練習した4tマニュアル運転技術」と「2社目で数週間だけ覚えたアームロール車の操作」が見事に融合し、最初から即戦力として馴染めました。

  1. 持病の「副鼻腔炎」が最強の武器に変わった

面接で「汚泥を運ぶから臭いがきつい現場が多いよ」と念押しされましたが、私は副鼻腔炎(鼻にポリープがある)で人より臭いを感じづらい体質でした。普段はデメリットだった持病が、「どれだけ臭い現場に行っても全く気にならない」という最強の武器に変わったのです。

  1. 「完全1人作業」だから嫌いな人がいてもノーダメージ

今の会社にも、あからさまに私を嫌っている人はいます。でも、助手席に誰かを乗せて2人で作業することがなく、トラックに乗ってしまえば完全な1人空間です。「嫌われているなら関わらなければいい」と物理的に遮断できるため、17年いたシステム会社や2社目のような密室の人間関係ストレスがゼロになりました。


まとめ:40代からでも、短期離職しても、環境を選び直せば「天国」は見つかる

振り返ってみれば、17年勤めた会社を辞めた時も、45歳で未経験のトラック運転手になった時も、1週間や2週間で「ここは無理だ!」と見切った時も、常に不安はありました。

でも、「たった1ヶ月で辞めた2社目ですら、アームロール車の操作を覚えるための無料の教習所だった」と思えば、無駄な経験なんてひとつもありませんでした。

もし今、あなたが職場の人間関係や長時間労働にすり減っているなら、「もう40代だから」「入ったばかりだから」と我慢し続ける必要はありません。

私が実際にどうやって求人を探し、どんなサービスを使い分けたのかは、以下の記事で詳しく解説しています。

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